内容に触れていますのでお気をつけください
ドラマ化ということもあり、およそ六年半ぶりに再読しました。
さすがに刊行当初に読んだときの衝撃はありません。続編とも言われる『幻夜』や、似たような手法の『殺人の門』がその後刊行されているということもありますので。
再読する前は、ほとんど内容を忘れていました。それでも印象に残っていた場面というのはいくつかあり、そのトップが、雪穂のキーホルダーの鈴の音でした。だからドラマ化の話を目にしたとき、まずその場面を楽しみにしたのです。
しかし、残念ながらその描写は省かれてしまっていました。
私が鈴の音にこだわった理由は、この小説の読み方というか、意味のようなものをその場面で知ったからです。そして、雪穂の本当の冷たさを。
こんなこと、私が今さら言うことでもありませんけれども……、『白夜行』のおもしろさは、雪穂と亮司の内面と裏の行動が描かれないことで想像力を駆使しながら読むことにあると思います。そして、鈴の音は、読者が最初にそのことに気づく場面なのかなと思うわけです。だから大切。
というわけで、ドラマの第一回目を見て残念、と思いましたが、ドラマはまったく別と考えればそれも当然であったわけです。再読して確信しましたが、やはり原作とドラマの雪穂は、決定的に違う人間ですから。
ドラマの冒頭の雪穂の涙。原作の雪穂は絶対に涙など流さないでしょう。少なくともあんな公衆の面前では。そうです、鈴の音の場面の雪穂ですから。涙を流すはずがありません。
雪穂と亮司に恋愛感情はあったのか。難しいなぁ。亮司にはあったと思うけれど、雪穂は……。最初はあったかもしれないけれど、成長するにしたがって、恋愛感情ではなくなっていったのかもしれないと思います。心の深い部分では繋がっていたけれど、同士くらいの意味か……。だって二人が一緒に歩くには、重すぎる物を背負いすぎていますから。
ドラマの雪穂は違う人間と書きましたが、それに関して私はまったく異議はありません。原作を傑作と思い、東野さんの代表作だと信じ大好きな話ですが、ドラマ二回目まで見た限りでは、ドラマはドラマでとてもよい出来だと感じたからです。
二人で太陽の下を歩ける日がくるまで、という前提があるならば、ドラマの雪穂と亮司の描き方はあれがベストなのではないかな。この先どんな風に描かれていくのか、不安でもあり楽しみでもありますけれども。
原作のある物語が映像化されるとき、必ず反対や心配の声はあがりますし、私も原作のイメージを大切にしたい作品には、嫌な気持ちになることもあります。なかにはタイトルと最初の設定だけを借りたようなドラマもありますからね。
今のところ『白夜行』は、原作の解釈のひとつとして、たいへんおもしろく見ています。武田鉄矢演じる刑事も不気味でつい見入ってしまうし(笑)。
白夜行