真夜中の五分前five minutes to tomorrow side-A
本多 孝好
僕、が上司にも先輩にもかなりストレートな物言いをし、皮肉を冗談で固めているような性格だったため、
私は少し苦手だなぁ、こういう人、と思いつつ読み進めました。
しかし、そんな苦手意識はラスト付近で180度転換することに。
六年間、僕の中の何かにずっと押し込めてきた感情に、私もまったく気づかず、「本多さん、恋愛小説巧いなぁ」と感服しました。
人の本当の気持ちは外見からは判断できないって、いつも思っているのに。
とても素敵な恋愛小説でしたが、side-Bとどう繋がっているのでしょう。
真夜中の五分前five minutes to tomorrow side-B
本多 孝好
side-Aから二年後。
いきなり衝撃の事実が。これは絶対に、AとB順番は守って読むことをおすすめします。
【注意】以下、内容に触れますので、未読で先入観を持ちたくない方は読まないほうがよいと思います。
side-Aでは、それぞれの心の中の秘めた思いと、それを乗り越える過程を、私は強く読み取りました。
そして、分冊にして仕掛けがあるということだったので、きっと別の視点から語られる物語が本書になるのだろう、などと想像していました。
さらに、side-Aで、主人公たちが救われたことからも、そのままの雰囲気が続くのでは・・・と思っていたわけです。
ところが。
想像をまったく裏切られました。
本多さんは、まったく人の死をよく書く方だということ、忘れていました。
side-Bは、喪失の物語だったと今感じます。
かすみを事故で失った僕。
尾崎とゆかりの重なり合っていた気持ちの喪失。
渋谷のバーのオーナーが失いつつある妻と店。
細かいところでは、長内元課長なんかも、自分の地位を喪失したと言えるかもしれません。
そんな中、主人公が自分の気持ちに一つ整理がつき、昔の恋人の墓参りに初めて行くところ。これは新しい自分への第一歩として、明るい兆しではありました。
うーん、でも・・・。
ゆかりが、自分は本当にゆかりなのかわからないし、かすみ自身の記憶もあるというのが、ちょっと納得できず、モヤモヤが残る読後感となってしまいました。
一卵性双生児だからって、そんなことあるのだろうか、事故のショックのせいと考えるべきなのか、それともフィクションなんだから気にするなということなのか。
そんな風に、どうしてもどうしても素直に読み取れない気持ちがあるのです。
いったい答えはどちらなのでしょう。
尾崎が愛情についてこんな風に話します。
「嫌になるくらい惨めで、笑っちゃうくらいに馬鹿馬鹿しくて、それでも僕はそれに少しだけ救われる」
この気持ち、とても共感できませんか。
そして、失った人を通して自分を見つめるというラスト。とても美しく感じました。
それは、本多孝好の恋愛小説ならでは。
ラスト一頁、何度も何度もかみしめるように読んでしまいました。